漫画村ブロッキング問題で考える「通信の秘密」で、合意形成を軽視してはいけないのはなぜか

by 大橋 正司(インフォメーション・アーキテクト、代表社員)

4月13日の知的財産戦略本部会合・犯罪対策閣僚会議の結果を受けて政府がISP(通信事業者)に、漫画村などの著作権を侵害する特定の違法コンテンツ配信サイトを自主的にブロッキングするように要請したことが波紋を広げています。

問題の概観や論点、各関係者の反応は、上記を受けて開催された「著作権侵害サイトのブロッキング要請に関する緊急提言シンポジウム」のレポート記事によくまとめられています。

本稿は、これまでの法的議論を整理すると共に、IA(情報設計の専門家)が利用者のプライバシーを保護する上で実際に直面しているその他の課題も示しながら、現代の情報倫理をめぐる課題の検討では合意形成の重要性が以前にもまして重要になっていることを指摘し、組織開発の観点から合意形成のポイントとを踏まえた慎重な議論と合意形成過程の記録を促すものです。

ブロッキングはどのように認められるのか

ブロッキングは、不適切なサイトへの通信を検知したら遮断する行為です。そのため、電気通信事業法(第179条)、間接的には憲法の定める「通信の秘密」の侵害の恐れから、これを慎重に取り扱うことが求められてきました。

なお、国民のすべての通信を監視するのが悪だ、というような言説もありますが、通信の「監視」自体は、IPパケット通信を用いて様々なサーバがデータを中継しているインターネットの仕組み上、どこにデータを転送すればいいのかを知る必要があるため、常時行なわれています。

このように業務上必要不可欠な「通信の秘密」の侵害は、正当業務行為として阻却(違法と推定される行為を、正当防衛のような特別な事情により、違法性がないと見なすことが)されるものとみなされています。

こうした正当業務行為を超える「侵害」が発生する場合の解釈は、関係省庁や業界団体が法律の専門家や多様なステークホルダーとともにガイドラインとしてまとめたり、その運用のための第三者機関を設立したりして、社会的な合意を形成してきました。しかしその反面、そうした解釈には判例があるわけではありません。「訴えられたことがないので現時点では違法ではない」が、それでうまく世の中が回っているので、その状態が続いているという意味でしかありません。

ブロッキングには3つ方法がある

ブロッキングを導入する場合の考え方は、内閣府知的財産戦略本部検証・評価・企画委員会で、木下昌彦先生により3つに整理されたものが参考になります。

  • 1. 立法によりISPにブロッキングを義務付ける方法
  • 2. ISPが自主的にブロッキングを実施する方法
  • 3. ISPがブロッキングできる場合を明示的に立法で定める方法

今回直接的に問題になっているのは、2の「ISPが自主的にブロッキングを実施する方法」です。

この方法では、ISPの自主的なブロッキングは電気通信事業法(第179条)に抵触する危険性があります。それを「緊急避難(刑法第37条)」を適用することによって阻却できるのかが焦点となっています。そのためには前述の通り、社会的な幅広い合意形成が不可欠です。

刑法第37条

自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

通信の秘密は、先にあげた正当業務行為以外に、どのような場合に制限されうるのでしょうか。通信の秘密は罰則によって担保されていることを背景に、刑法の定める正当行為、正当防衛、緊急避難といった違法性阻却に基いて、一定の制限がかかることが認められてきました。以下のような法令に基づく行為も正当行為です。

  • ・刑事事件における郵便物の押収(刑事訴訟法100条)
  • ・接見における通信物の検閲、接受の禁止・押収(81条)
  • ・税関の差し押さえ(関税法122条)
  • ・日本郵便株式会社による郵便物の開示(郵便法31条)

インターネット通信に対しても、様々な法令を通じ、通信の秘密に対して制限がかけられてきた他、正当業務行為としてサービスを適正に提供する上で必要な対策の実施にあたっては、違法性が阻却されるという考え方が整理されてきました。

法令に基づく行為や、正当業務行為としての通信の秘密の制限

  • ・プロバイダ責任制限法(発信者情報開示請求、送信防止措置請求)
  • ・プロバイダ責任制限法 商標権関係ガイドライン(偽ブランド品等の出品対策)
  • ・青少年インターネット環境整備法(18歳未満の青少年に対する有害情報のフィルタリング)
  • ・特定電子メール法
  • ・ボットネット対策
  • ・電気通信事業者における大量通信等への対処と通信の秘密に関するガイドライン(DDos攻撃対策)
  • ・IPパケット通信(つまり、インターネットの仕組みそのもの)
  • ・料金請求やサポートのための通信履歴の保存

この他、DPI(Deep Packet Inspection)の利用の是非や、今回も取り上げられたテイクダウンなども通信の秘密に係る問題として、よく取り上げられます。

今回のブロッキングは緊急避難の成立要件を満たすのか

さて、今回話題となっている緊急避難が認められるとされてきた事例として、児童ポルノの遮断(DNSブロッキング)が参照されています。

では著作権侵害は、児童の人権侵害や、今まさに命を絶とうとしている人の保護と同等にみなせるほどの現在の危難なのか。そして、通信の秘密との法益権衡は保たれるのか。実際に比較衡量するのは難しいのが、この法益権衡です。

今回政府から提示された案で問題になっているのは、それが国民全体の通信の秘密という基本権に優先する緊急避難の構成要件をどのように成立させているのか、検討過程と根拠が、少なくとも専門家が納得する形では具体的に示されておらず、社会的合意に達していないにも係わらず、緊急対策を個別的なISPの対応として要請したことです。

緊急避難を適用して、業界全体の自主的な取り組みとしてブロッキングを実施するためには、警察当局を含む幅広い関係者の合意のもと、該当するブロッキングについては逮捕権を執行しないし、みんなも訴えません、という社会的合意が必要です。

あるいは先にあげた木下先生の整理のように、正当な手段としては法制化を検討する必要がある。しかし、その場合は後述する憲法上の「通信の秘密」に抵触する恐れが強くなります。よって、前掲の1〜3の対策の空白を突いて、実行性のない提案を「対策」として求めるという、奇妙な構造になっています。これは「公権力が忖度を求めている」と言われても仕方のない状況です。

そもそも「著作権侵害は対象とできない」はずだった

さらに問題を難しくしているのは、著作権侵害はブロッキングの対象とはしないという合意が以前にあったにも係わらず、そのステークホルダー(は、今回のブロッキングのステークホルダーとしてもそのまま当てはまる)がいない席での議論の結果出てきたのが、上記の「緊急対策」だということです。この対策の結論の正当性が正しいか間違っているのか、最終的に判断できるのは裁判所だけです。対立の結果として合意形成に至れないのであれば、司法判断を求めるしかなくなってしまうわけです。

インターネットコンテンツセーフティ協会が指摘するように、児童ポルノのブロッキングは「児童への人権侵害が継続的に発生していた」状況下であっても、「児童の権利と国民の通信の秘密の関係、他に取りうる手段の有無などについて、政府と被害者、法律の専門家、ISPも多数参加し、慎重に議論を積み重ねた上で、緊急避難としての法的整理が行われて」いました。この議論の報告書では、著作権侵害は緊急避難としての取り扱いが難しいことが明言されています。

著作権侵害との関係では、著作権という財産に対する現在の危難が認められる可能性はあるものの、児童ポルノと同様に当該サイトを閲覧され得る状態に置かれることによって直ちに重大かつ深刻な人格権侵害の蓋然性を生じるとは言い難いこと、補充性との関係でも、基本的に削除(差止め請求)や検挙の可能性があり、削除までの間に生じる損害も損害賠償によって填補可能であること、法益権衡の要件との関係でも財産権であり被害回復の可能性のある著作権を一度インターネット上で流通すれば被害回復が不可能となる児童の権利等と同様に考えることはできないことなどから、本構成を応用することは不可能である。

報告書を読む限り、上記の検討と現状の差異としてあげられるのは、被害額の大きさです。しかし、これだけの論理でこの検討を覆すことはできない、というのが多くの専門家の指摘です。

児童ポルノを対象としたブロッキングについて議論を積み重ねてきた専門家・関係者としては、ずるずると適応対象が広がらないように尽力してきたわけで、そのような経緯を反故にされたと感じるのも無理はありません。

著作権保護のための方策についてしっかりした議論を重ね、正当性と実効性ある立法措置を怠ってきて、このような「緊急」事態を招いたのは、ひとえに関係本部・庁の無策と、法的に無理筋な解釈変更に固執された方々によるものです。

また、他に取りうる手段がないことが緊急避難の要件になるため、その運用にあたっては、明瞭で間違えようがなく安定的に運用できる基準であること、恣意性のない最小限度の実施となるよう、取りうる他の手を尽くすことなどが求められますが、これも今回の報告書だけでは、なかなかに困難だろうと考えられます。

「自主規制」の難しさを示す事例としては2008年に、アダルトビデオの審査を行っていた日本ビデオ倫理協会の担当者が、猥褻図画販売幇助罪容疑で逮捕された事例や、今年1月に風営法違反で摘発された青山蜂の事例が参考になるでしょう。これらは必ずしも「自主規制」だけが問題ではありませんが、取り締まり基準が曖昧であり、しばしばその不明瞭性と警察当局の法解釈とのズレが問題となることを示す例として、非常に参考になります。

前提条件の変化による緊急性の喪失(現に漫画村は接続不能になっている)が発生した場合の判定条件について、報告書にはブロッキングの解除要件の記載はなく、この点からも運用に耐える強度を持ったガイドラインと見做すのに難があります。ISPが単独でブロッキングを実施するには多くの実務・法務上のリスクがあるからこそ、繰り返しますが、これまで集団での多角的検討に基づく合意形成による法的リスクの緩和が図られてきたのです。

政府見解に基づき、十分な合意形成なしにISPがブロッキングを実施した場合、通信の秘密の侵害を理由に告訴や告発が行われることも想定され、既にブロッキング実施を表明したNTTコミュニケーションズ(OCN)に対して中澤佑一弁護士が4月26日付けで訴訟を起こしています。

さて、日本が民主主義国家である以上、「表現の自由」は国の根幹に係る権利であり、財産権に優先する権利だとされてきました。「通信の秘密」も、一見すると「表現の自由」に強く関係しているようにも感じます。著作権侵害との法益権衡を考える上で「通信の秘密」に、どの程度慎重な取り扱いが求められるのか。そもそも「通信の秘密」とは何を誰から保護しているのでしょうか。

また、インターネットの仕組みが本来は「通信の秘密」を常に侵害するのだとしたら、それは電気通信事業法や憲法の解釈や条文そのものを見直し、時代にあわせたものにするべきではないのか。一見盤石にも思える「通信の秘密」の解釈には、近年は幅広い解釈が情報法やセキュリティの専門家を中心に提示されていることを確認し、合意形成の重要性について、ブロッキングの範囲を越えた憲法解釈のレベルから、さらに見ていきましょう。

「通信の秘密」の保護法益はなにか。その名宛人は誰か。憲法との関係性をめぐる議論

憲法上の「通信の秘密」の保障とは、ある者とある者の間で行われる通信の内容と、通信が行なわれたことを含む通信に係るすべての事実を事前・時中・事後を問わず、知得してはならないことを指しています。

気になるのはその名宛人、つまり主体者です。憲法における「通信の秘密」の名宛人は公権力で、電気通信事業法や電波法、郵便法などに規定された「通信の秘密」の名宛人は民間事業者です。では、この2つの秘密は同じだと言っていいのでしょうか。もう少し紐解いてみましょう。

「通信の秘密」の保護法益は、プライバシーか表現の自由か

憲法において「通信の秘密」は「表現の自由」と同じ条文で規定されています。しかし、諸外国の憲法や、大日本帝国憲法と比べると、この書き方は例外的であり、それ故に「通信の秘密」の保護法益に解釈をめぐる議論の余地が生まれています。試しに大日本帝国憲法を見てみましょう。

第25条
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条
日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルルコトナシ
第29条
日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

26条の「通信の秘密」が、25条の「住居への不可侵」に次いで記載されている条文の構成から考えると、大日本帝国憲法では、「通信の秘密」が依拠していたのは表現の自由ではなく、プライバシーに係るものであることが明確に分かります(ただし、当時プライバシーが明確に概念化されていたわけではありません)。こうした大日本帝国憲法における取り扱いの経緯や、諸外国の憲法の解釈等(特にコモン・ロー、つまり判例の積み重ね)に依拠すれば、「通信の秘密」は主として憲法13条に立脚した「プライバシー」の保護を目的としたものであるというのが、まずひとつの解釈です。

もう一方の解釈は、「表現の自由」の一環として「通信の秘密」が保障されているのだという、一番シンプルな解釈です。一般的に、条文を読み下したときの感覚と一番合致するのも、この解釈でしょう。

とはいえ、「表現の自由」とあわせて「通信の秘密」が記載されていることを踏まえ、憲法13条に立脚した「プライバシー」の保護を主体とし、同時に「表現の自由」とも密接に関係があると考えることもできる。一般的なのは、この解釈です。

これらの解釈の違いは、「通信の秘密」の保護対象範囲に影響してきます。一般的に通信を行う場合に保護されるべき情報は2つに分けることができるからです。その通信の内容と、通信の発受信者や発受信地などの外形的なメタデータです。もっとも一般的で、これまでの法整備などを通じてほぼ確立されている解釈は先述の通り「プライバシー」の保護を主体として通信の存在を含む外形的なメタデータも保護されるべきであるという解釈です。

しかし、もし「通信の秘密」が「表現の自由」に依拠した権利であると考えると、これは自らの信条や感情を誰に開示するのかを決定する権利としてのプライバシー権を指し、その場合保護されるのはあくまで「通信の内容」だということになってきます。外形的な情報は「表現の自由」を萎縮させない範囲で制限すればよく、「外形的な情報は保護の対象外となりうる」という解釈も可能になってきます。近年の情報通信の多様化を背景に、メディアごとの特性を踏まえながら柔軟に外形的な情報の保護と開示を可能にする解釈として、特に情報法の研究者を中心に、議論が行われています。

「通信の秘密」を「表現の自由」との関係性において考えるときに、もうひとつ注目しておきたいのが「通信の自由」です。憲法に「表現の自由」は明文化されているのに「通信の自由」を明確に規定した条文はありません。「通信の秘密」が「表現の自由」に依拠するのであれば、表現の手段としての「通信の自由」は認められそうですが、プライバシーに依拠しているとするならば「通信の自由」は規定されていないことになります。

民間事業者による通信と、通信手段の多様化を憲法は制定時に想定していなかった

この前提を補強するのが、日本国憲法制定当時の状況です。今とは違い、通信・電話事業は国が提供する独占事業であって、民間が関与できるものではありませんでした。当時の状況を踏まえれば「通信の自由」が自明のものだとされていたとは言いがたく、同時に「通信の秘密」もまた、国家が守ることを前提に規定されたものだと考えることができます。

現代における「通信の秘密」

では憲法上の国が守るべき「通信の秘密」は、電気通信事業法や郵便法の定める民間事業者が守るべき「通信の秘密」と断絶したものなのか。通信事業の民営化が行われた際に、この点が十分に咀嚼されてきたとはいえないのは確かです。ISPが電気通信事業法上の「通信の秘密」規定に違反したとしても、それは民間事業者による行為であって、「公権力」を対象に通信の秘密の保障を規定した憲法に違反したとはただちに言えません。これが憲法の定める「通信の秘密」に抵触するのは、法令により民間事業者が実質的に公権力を行使するのと同等の立場にある場合だと考えられています。(NTTやKDDIのような、かつて国営企業であった私企業の社員は、引き継いで憲法上の通信の秘密の名宛人であるという見解もあります)

ただ、これまで日本電信電話公社が遵守していた「通信の秘密」は、通信の公益性や社会的影響力の大きさを踏まえプライバシーを保護するために、公権力のみならず民間事業者に対しても当たり前に課せられる義務であるという通念から「通信の秘密」の保障は法律上もガイドラインとしても整備されてきました。

電話や郵便事業の民営化、インターネットの普及によって、憲法の想定を越えた状況にあるのが、私たちの生きる「現代」なのだ、ということは踏まえておく必要があります。

このような時代の「通信の秘密」の変容については、2012年から2013年にかけて、情報セキュリティ大学院大学林紘一郎研究室を中心とした「インターネットと通信の秘密研究会」が報告書をまとめており、こちらも必読の内容となっています。

憲法制定時に可能だった通信手段は、電話、電信(たとえばモールス)、郵便と、比較的単純なものでした。インターネット通信では、通信は1対1で行われるものではなく、その過程で国内外の複数の事業者が通信の情報を保有することになります。ISP,SNSなどのサービス事業者、コンテンツ事業者、広告事業者、DMP事業者など、複数の事業者が通信を介在する状況は、技術的見地からも完全に憲法の想定外だといえます。さらにいえば、電気通信事業者が通信ログを解析することはできない一方で、サービス事業者とコンテンツ事業者においては、利用許諾の承認を前提として、自社のサービス内における通信の秘密を意識することなく、サイトのアクセスログを解析しているのです。では、ここで守られるべき通信の秘密とは一体なんなのか、と思ってしまうのも確かです。

また今や、個人の通信の情報に依らずサービスを提供すること自体が難しくなっていることから、規制をより緩める方向へのインセンティブが働くこともまた否定できません。こうした側面からの検討については、2014年に総務省が「緊急時等における位置情報の取扱いに関する検討会」で公表した「位置情報プライバシーレポート~位置情報に関するプライバシーの適切な保護と社会的利活用の両立に向けて~」なども事例として参考となります。

システムの中での情報倫理

しかし、上記のような検討が進んだとしても、現代のWebサービスやIoTの現実のサービス運営の現場からすれば、通信の秘密が指し示す個人のプライバシーの保護という根本的な目的が十全には守り得ない状況にあります。それは、これらの議論が、個人と事業者といった、二者間の倫理の問題に留まっているからです。

伝統的な情報倫理では、国と国民、メディアと視聴者のような1対1の関係における倫理構成が検討されてきました。二者間の関係性において生じる問題を検討すれば、大半の問題は解決できたからです。これまで見てきた通信はその典型例です。多様なステークホルダーがいるにしても、発信者と受信者、国民と公権力、国民と電気通信事業者といった二者間の問題として分解し、検討を進めてきたのです。

しかし、現代の情報化社会では、このような1対1の関係間におけるいわゆるミクロな情報倫理を前提とした枠組みはすでに破綻しており、情報環境におけるマクロな情報倫理が議論されるようになっています。なぜかといえば、複数の事業者や関係者が同時に関係するネットワーク構造においては、このような分解に意味がない瞬間があるからです。もはや、そのサービスにおける情報の利用様態の波及効果を誰も正確には予想できず、また個人も把握できない状況に陥っている。そのような状況下では、各者間の契約による合意が、利用者のプライバシーを保護する保障はないのです。

この問題を考えるにあたり、分かりやすい有名な事例はLGBTQコミュニティを巡る問題です。FacebookやTwitterなどのSNSでは、従来と比べて格段に行動が可視化されていることに起因して、自分の性的指向が周囲にばれないように気をつけていても、ひょんなことから「意図しないカミングアウト」が発生してしまうことや、行動データから性的指向が推測できてしまうことは、しばしば問題になってきました。

発信者情報を「通信の秘密」の対象としない考え方が問題になってくるのは、このように発信者情報が重なることによって(ソーシャルハッキング的に)、個人の心情や嗜好が本人の意図に反して露出してしまうケースだと思いますが、誰がこのような問題を引き起こすと事前に想像していたでしょうか。個人的にこれまでの法的議論をこのように俯瞰してきて、取り残されている問題だと感じているのは、システムの自律性や複雑性により発生する予測不可能性への対処です。北京で蝶が羽ばたけば、ニューヨークで嵐が起きる。そのような事態がWebサービスでは頻繁に発生し、日夜誰かの尊厳を脅かしていて、後追いで穴埋めをしているのが現状です。そして厄介なことに、マイノリティではないユーザはそのような問題が起きていることに気づくことすらありません。

ではこれが、AIだったら、その情報倫理はどのように構築されるのでしょうか。人だけではなく、ものを倫理を守る「主体者」として入れなければならない時代がきているのです。

合意形成の重要性と、そのプロセス

ですから現代の情報倫理を検討する上では法益権衡に加え、多様な観点と価値観から様々なステークホルダーの声を洗い出し、現実の問題点を俎上に上げていくことが何より求められるはずです。

そもそも、被害額や逸失利益の算出が困難なのも、著作権侵害が複雑な、ルチアーノ・フロリディの提唱するワードを用いれば、情報圏で起きているからに他なりません。マクロな問題にミクロな視点で切り込むには限界があるのです。

また、個人的に非常に残念に思っているのは、もう少し建設的な議論の土台を形作ることはできなかったのか、という思いです。現在の政権の置かれている状況、この話の唐突さ、多くのステークホルダーを巻き込めなかったことの弊害を考えると、悪手だと感じているのです。

今回の決定の背後で何があったのか。Business Insiderが配信した住田孝之・知的財産戦略推進事務局長への取材記事や、ITmedia NewsによるCODAへのインタビューで、その片鱗が視覚化されてきました。

上記の記事を読むと、少なくとも数年に渡り議論され、いきなり浮上した案ではないことや、対象としている権利の重要さやステークホルダーの多さに起因する立法の困難さ、手詰まり感などが伝わってきます。事実確認や当事者の認識がどうであったかはそれぞれ反論がこれから出てくると思いますが、通奏低音として響くのは、緊急対応として結果を急ぎ、意図的にプロセスを省略する戦略です。

しかし、まさに、成果に注目することによって、プロセスのコストが逆に増大してしまうことは、あまり知られていません。このことを分かりやすく指摘しているのが、ダニエル・キムの成功循環モデルです。

ダニエル・キムの成功循環モデルでは、まず関係の質に注目する

合意形成では、その結果に着目が行きがちですが、より重要なのは、その過程でステークホルダー間に醸成される信頼関係です。この人たちになら安心して言えると思えるからこそ忌憚のない対話が可能になり、だからこそ積極的なアクションにつながって結果もでる。それが成功循環モデルの考え方です。しかし、信頼関係なしに最初に結果に着目すると、起きるのは見当違いな責任の擦り合いと、不信感の増大です。

分かりやすいのは、営業部と開発部の対立です。信頼関係の構築なしに売上高にいきなり着目すると何が起きるのか。「開発がきちんと作ってくれないからだ」あるいは「営業が数字を優先して品質を考慮しないからだ」。どちらも防衛的になり、積極的なアクションにはつながらず、結果も出ない。今回起きているのは、まさにそういうことです。たとえ正論でも、自分たちを脅かす存在に手を差し伸べる人はいません。今回、本来味方につけるべき多くの人たちを敵に回してしまいました。このようなやり方は、結果を出したいなら最も忌避しなければならないのです。

さらに、様々な情報が瞬間的に可視化・共有される今日のメディア環境では、ネット上の言説の拡散力や影響力を考慮しなければなりません。コンテンツ業界が苦境に立たされているという実際の状況よりも、今回のように外形的には不意打ちにみえる方法を用いたことによって、業界のイメージが低下し、実際に必要な対策への理解が進まないばかりか、今後のサービスに陰を落とす可能性は充分にあるのです。

また、ステークホルダーによって、そのゴールは異なってきます。政府や弁護士にとっては、法制化がゴールだとすれば、ISPにとっては安全に運用ができることがゴールかもしれません。何がゴールだと自分は思っているのかすり合わせるのは、合意形成の基本中の基本です。

短期的にはこのことで売上は下がらないでしょうし、影響はなさそうにみえるのも事実ですが、長期的にはその業界のイメージを嫌って人材が流入しなくなれば、飲食業界のように苦況に立たされるかもしれません。

今回の政策決定過程は検証可能か

さらに悪いのは、検討過程が完全に公開されていないことも相まって、集団的自衛権の解釈変更の時のような強権的な公権力の行使が想起されてしまうことです。

2014年に、政府はそれまでの集団的自衛権行使をめぐる解釈を変更する閣議決定を行いました。解釈変更にあたっての検討を行うのは内閣法制局です。内閣法制局はその検討過程、つまり内閣法制局内での議論や、与党幹部との協議について、行政文書を一切残していなかったことが、2015年9月28日の毎日新聞の報道によって明らかになりました。

集団的自衛権:憲法解釈変更 法制局、経緯公文書残さず 審査依頼、翌日回答

横畠裕介長官は今年6月の参院外交防衛委員会で、解釈変更を「法制局内で議論した」と答弁。衆院平和安全法制特別委では「局内に反対意見はなかったか」と問われ「ありません」と答弁した。法制局によると今回の件で文書として保存しているのは、安倍晋三首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の資料▽安保法制に関する与党協議会の資料▽閣議決定の案文――の3種類のみで、横畠氏の答弁を裏付ける記録はない。

「集団的自衛権行使は憲法上許されない」とする1972年の政府見解では、少なくとも長官以下幹部の決裁を経て決定されたことを示す文書が局内に残る。法制局が審査を行う場合、原則としてまず法制局参事官が内閣や省庁の担当者と直接協議し、文書を残すという。しかし、今回の場合、72年政府見解のケースのように参事官レベルから時間をかけて審査したことを示す文書はない。

行政文書の作成と保管の目的と基準について定めている公文書管理法には、なんと書かれているでしょうか。

公文書管理法

第一条
この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。
第四条
行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。
  • 一 法令の制定又は改廃及びその経緯
  • 二 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯
  • 三 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経緯
  • 四 個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
  • 五 職員の人事に関する事項

意志決定過程の記録は、明らかに公文書管理法の規定上の行政文書であるにも関わらず、よりによって法の番人たる内閣法制局が、それを無視していたことになります。

政策検討過程の不明瞭さは、本件でも多く指摘されていますが、それがインタビューで明らかになるのは、公文書管理の理想からすれば不十分です。私としては、その過程が行政文書としてできるだけ丁寧に、同時的に、あるいは将来に渡り、検証可能な状態にあることを願うばかりです。

参考文献

文中に掲示したものをのぞく。いずれも5月1日最終確認